【パンジーかビオラか——花たちの語らい】先日、生涯学習セミナーの講演会で頂いた、小さな花たち。パンジーなのか、それともビオラなのか。名前を確かめぬまま、私はその花を手に帰り、プランターへと植えた。 講演会の講師は、園芸店の社長であり、専門学校で教鞭を執る傍ら、園芸ソムリエとしても名を馳せる多才な方だった。その言葉の端々には植物への深い愛情が滲み、花や土に向き合うように人と接することが、心の豊かさに繋がることを感じた。 そんな園芸店から贈られたこの花は、やはり違う。葉は青々とし、花びらは艶やかで、凛とした表情をしている。紫と白のコントラストが織りなす模様は、まるで笑顔のようにこちらを見つめてくる。風に揺れながら、ふと、「今日も頑張ろう」と声をかけてくれるようだ。 目まぐるしい日常の中で、ひとつの花がそっと語りかけてくる瞬間がある。小さな命が窓辺で咲く姿に、どれだけ励まされることだろう。パンジーかビオラか、名前は重要ではない。この花たちは確かに、私の心に根を張り、今日も「頑張ろう」と微笑んでくれている。 冬の足音が近づく季節――小さな命が届けてくれる言葉に耳を澄まし、今日も一歩を踏み出していこう。(2024年11月13日)。
【落ち葉とともに巡る季節の物語】 この季節になると、公園から吹き込む落ち葉の掃き掃除が朝の仕事前の日課となる。私たちのような小規模な会社では、清掃会社に委託せず、社員自らが清掃を行っている。その時間の中で気づかされることも多い。落ち葉を掃く時間は短ければ10分、多いときは30分以上にもなるが、これは公園の自然の恵みをいただき、四季折々の美しさを楽しませてもらったことへの感謝を込めた「ご奉仕」のようなものだ。 落ち葉を掃くたびに、一年の終わりが近づいていることを感じる。そして、この会社には、自然の恵みだけでなく、さまざまな訪問者がやってくる。鳩が屋根の下に巣を作り、猫が作業場の奥で子猫を産み、その子猫が大きくなってから「里帰り」に訪れることもある。その姿を見るたび、親になったような気持ちで温かな眼差しを向ける。 こうした自然や動物との触れ合いは、私たちに四季の移ろいと命のつながりを教えてくれる。そして、ふと気づく。この落ち葉や動物たちのように、私たちも何かを運び、届ける存在でありたいと。皆さまのもとに、小さな幸せや感動をお届けできるよう、今日も掃き掃除とともに前を向いて歩みます。 自然と共に、そして皆さまと共に――。(2024年11月7日)。
【サイトリニューアル奮闘記――「困憊る(コンパイる)」の先にあるもの 】仕事の合間を縫って、ホームページのリニューアルに取り組んでいます。思えば、以前のホームページを作ったのは15年以上前。若かりし頃の経験を活かし、HTML言語を一から手打ちで構築したものでした。あの頃の設計はPC主体で、タブレットやスマホ対応なんて夢のまた夢。今やスマホでの閲覧が全体の8割を占めるという時代、レスポンシブ対応が求められるのも当然のことです。 今回はAdobeのDreamweaverを使って、再び自力で挑戦中。振り返れば、学生時代に情報処理論の選択科目でCOBOLを学び、機械語へのコンパイル作業もしていた日々が懐かしい。その難解さを仲間と笑い飛ばし、「困憊る(コンパイる)」なんて冗談を交わしていたものでした。今ではそんな複雑な仕組みを考えずに作業ができる時代になり、随分と楽になったものです。 とはいえ、スマホ対応の難しさには苦戦中。画面幅がわずか390ピクセルしかないスマホでは、デザインバランスが崩れたり、改行したくない箇所で妙に改行されたりと、一筋縄ではいきません。ここでもまた、「困憊る」という言葉が頭をよぎります。それならいっそのこと、PC・タブレット用とスマホ用で別々のプログラムを組んだ方が良いのか――そんな考えも浮かびます。 時間はかかるかもしれませんが、焦らず気長に取り組んでみようと思います。苦労の先に生まれる新しいホームページが、多くの人にとって心地よいものになるように。挑戦は続きます。 「困憊る」ことも、振り返れば新しい何かを生むためのステップ。そんな思いで今日も画面に向かっています。(2024年10月30日)
【今日の格言:「大小の事変みな箴戒(しんかい)となす」】 仕事をしていれば、人間のやることですから間違いが起こるのは避けられません。先日も、こちらの管理ミスで受注の納期を誤ってしまいました。お客様からの確認があって初めて気づいたものの、幸いにも在庫があったため、何とか事なきを得ました。この経験を胸に刻み、改めてこの格言の意味を考えました。 「大小の事変みな箴戒となす」。この言葉は、日常生活や仕事の中で生じる平常とは異なる出来事をすべて反省の機会として捉え、それを戒めにして災いを未然に防ぐよう努めなさい、という教えです。大小問わず、予期せぬ出来事を軽んじず、自分の心構えを整える機会として活かすことが大切だと気づかされます。 中国の古典『易経』には、「臣が君を弑(しい)、子が親を弑するのは、一朝一夕のことではなく、日々の小さな不満や対立が積み重なって生じる」との教えがあります。突然の大事の裏には、必ず見過ごされてきた小さな問題が潜んでいるのです。 仕事の中でも、誤りを指摘されることがあります。その際、些細なことだと軽視せず、それを心の姿勢を正す機会と捉えることが、成長への道。大きな問題の前には、必ず小さな兆しがある。それを見逃さずに対処することが、未来の災いを防ぐカギとなると思います。 この格言が示すように、日々の出来事に心を配り、反省を怠らず進むことが、よりよい仕事と平和な生活を築く道だと実感しました。今日の学びを胸に、明日も新たな気持ちで挑みます。(2024年10月15日)
【名入れカステラに込められた感謝とエール】 長年お取引させていただいております「第一不動産」様より、素敵な名入れの長崎カステラをいただきました。40周年を記念したデザインは、センスが光る仕上がりで、思わず手を止めて眺めてしまうほど。切るのが惜しい気持ちと、食べないのはもっと勿体ないという思いが交錯しながら、風味が変わらないうちに美味しくいただきました。 第一不動産様は、若いスタッフが多く活気あふれる会社。40周年という節目を迎えられてなお成長し続けるその姿勢に、長い歴史を重ねて72年目となる弊社も学ぶところが多くあります。このカステラの甘さに励まされながら、私たちもさらに頑張ろうと思います。 40周年の輝かしい節目をお祝い申し上げるとともに、今後もお取引を通じて共に成長していけることを願っております。ありがとうございます、そしてこれからもよろしくお願いいたします!(2024年9月17日)
【静岡護国神社 万灯みたま祭に想う】 静岡護国神社の万灯みたま祭に出かけました。この神社は、日清、日露戦争から大東亜戦争(太平洋戦争)に至るまで、国事に命を捧げられた静岡県出身者や縁故のある英霊7万6千余柱をお祀りしています。 普段、人混みが苦手な私は毎年早朝に参拝していましたが、今年は灯のともる幻想的な提灯や、花火の彩りを見たくなり、夕方から訪れることにしました。提灯の柔らかな明かりと空に咲く花火は、静寂と華やかさが入り混じり、胸に響くものがありました。 かつては両親が毎年名入れ提灯を奉納していましたが、その役目も世代交代し、今は私が引き継いでいます。戦死されたご先祖様もおり、靖国で再会しようと戦友たちとともに散っていったその姿に、改めて思いを馳せます。靖国神社へ毎年参拝するのは叶いませんが、この地で静岡の英霊を祀る護国神社を訪れることが、せめてもの感謝と敬意の表れです。 いまだに世界各地で紛争が絶えず、多くの人が犠牲となっています。しかし、平和で穏やかな世の中を築くことこそ、命を捧げた英霊たちの願いであり、今を生きる私たちの使命だと思います。その想いを胸に、この平和な時を大切に過ごしていきたいと感じました。 (2024年8月14日)
【グリーンカーテンに込める涼と希望 】地球温暖化対策の一助として、毎年欠かさず設置しているグリーンカーテン。今年もその一番花、朝顔が可憐に咲きました。朝一番に目に入るその姿は、何とも言えない喜びを与えてくれます。しかし、プランターでの栽培は手間もかかります。昼頃になると暑さで葉が萎れ、水分を求めるように垂れてしまいます。忙しい日には水やりを忘れてしまい、しおれた姿を見てがっかりすることもしばしば。 そんな中、グリーンカーテンのもう一員であるゴーヤも一緒に「飢え」を訴えてくるのです。ここ数年、ゴーヤは毎年育てているものの、なかなか実が大きくならず苦戦していました。先日、東京の取引先の方が訪れた際、「ゴーヤは簡単だよ」とアドバイスをいただきました。その言葉を胸に、プランターを新調し、新しいゴーヤの苗も増やして、心機一転、再挑戦です。 暑さ厳しい日々が続きますが、植物の成長を見守る時間は、忙しい日常の中に癒しをもたらしてくれます。花が咲き、実が育つ様子を間近で見るたびに、自分も一歩ずつ成長しなければという思いが湧いてきます。今年のゴーヤが大きく実る日を楽しみに、そして緑のカーテンが涼しい影を作ってくれる未来を願いながら、日々のお世話に励んでいます。 花や野菜の小さな命に触れながら、自分たちの暮らしもまた、自然の一部であることを感じる毎日です。今日も植物と共に、前を向いて進んでいきます。(2024年7月2日)
【和やかに幕を開けたシズオカ[KAGU]メッセ 2024 】今年も「シズオカ[KAGU]メッセ」が開催されました。弊社では、自社で商談対応を行う傍ら、私は組合役員として開幕式に出席いたしました。 今回は、新たに静岡県知事に就任された鈴木知事と、難波市長が来賓として初参加。お二方ともこのメッセの開幕式が初顔合わせということで、式典の場も自然と和やかな空気に包まれました。何より印象的だったのは、知事も市長も堂々としたスピーチの巧みさ。原稿が手元にないにも関わらず、家具組合や展示会、そして徳川時代から続く静岡家具の伝統について触れられ、流れるような話術で場を惹きつけていました。おそらく事前に秘書がしっかりと準備をされているのでしょうが、その場の雰囲気に合わせて話せるお二人の柔軟さと自信には感服しました。 私自身、人前で話す機会はそう多くありませんが、話す際には必ず原稿を用意しないと緊張してしまいます。即興でスピーチをこなすには、経験と度胸、そして準備の裏打ちが必要なのだと改めて感じました。 新知事と新市長、それぞれ新しい立場での出発となるお二人には、静岡の家具産地と共に、これからも和やかで力強い地域づくりを期待しています。静岡の地に根差した家具文化の新たな展開を願いながら、メッセの成功を心より祈ります。 (2024年6月12日)
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